急落するこその反発
私は周りの人におかしいと言われることが多かった。
人とは感性が違う。
これはすでに小学生のときから自覚はあった。
学校ではあまりいい記憶がなかった。
集団生活には馴染めないのです。
ただ、少し変わった感性を持つ人には大事にされてきた。
そのときの友人には感謝をしている。
社会人になり経営者の方々に多く重宝されることが多かった。
これは今でも同じだ。
私の片寄った感性は認められる場合が多かった。
しかし私は幾度となく失敗してきた。
ほんとうに数えることができない大失敗を何度も何度も。
それゆえに私は挑戦を恐れるようになった。
しかし私は自分の好きなゲームには突出した努力の量では才能があった。簡単に感じる。
努力の才能だ。
昔に山奥の大富豪により紹介された株式投資を貧困の元、不意に思い出して学習しだした。
元妻は私を見放した。
私は絶望する暇もなく導きだされた答えに私の余る時間を注ぎ込んだ。
ゲームの才能はマネーゲームにもマッチした。簡単だ。
それから貪るように学習し実験的な株取引を何度も繰り返した。
私のなかではすでに答えがでていた。
あとは実現する手段を着けていくだけだった。簡単だ。
答えがあればこれは容易に感じた。
失敗すら恐れる必要がないことにようやく気づいた。
挑戦すら確信的にゆっくり階段を上がるように感じた。簡単だ。
なんとも表現しようのない気持ちだ。
なにもが情熱的に加速していく。